Harumichi Saito
齋藤 陽道
Statement / Profile
神話
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生。これにより東日本大震災が引き起こされ、大津波が沿岸部を襲った。同日、津波により福島第一原子力発電所が全電源喪失となる。翌日、水素爆発が発生し、放射性物質が大気中に放出された。
この時、放射性物質の半減期が、数年、数十年、あげくは24,000年にも及ぶことを知った。縄文時代よりも昔、マンモスが生きていた旧石器時代、そして氷河時代が約20,000年前のことである。
原発事故以降の数年、世界は輝きを失った。息を吸うことも憚られ、空や水、木々に触れることもためらわれた。しかしそれにすらもいつしか慣れ、日常に埋没し、悲しみも麻痺し、死を悼む心さえも薄れた。
2024年元旦の能登半島地震で、不安が再びよみがえった。もしも震源地近くで計画されていた珠洲原発が設立されていたら……想像もつかない。そうした恐れを抱かざるをえない物が、日本列島の津々浦々に置かれている。福島では、立ち入り禁止区域は今も残り、廃炉の終わりは見えない。それでも国は原発を再稼働する。
2015年、初の子が生まれた。赤子を抱きながら「7つまでは神のうち」という言葉を思った。乳幼児の死亡率が高い昔は、子どもが7歳まで生き延びることは容易ではなかった。その短い命を「神からの預かりもの」として受け入れることで、子どもを失った親の悲しみを和らげたのだろう。
同時に、七歳を無事に迎えるまでの子は周囲の祈りにも包まれている。
初めて歩くようになった赤子が、どこまでも歩いて、なんにでも向かっていって、世界をそのまま全身で受け止めて遊ぼうとする。世界を深く信頼した姿に、畏怖を覚えた。「赤子」や「子ども」など表現してはならなかった。
神のうちの存在が、世界を遊んでいる。
その一瞬には、日常のさなかと神話に至る光景が分かちがたく接続していた。
神話は、人類がまだ文字を持たない太古の時代、自然や世界の謎を理解しようとしたときに生まれた物語である。同時に、神話は作者の名に依存しない物語でもある。時の流れとともに、その存在そのものは跡形もなく消える。作者がいなくても、いつ、どこでも、誰もが結びつく普遍がある。
写真もまた匿名のままに言葉の壁を越えてつながる力がある。写真がはらむ明快な謎たち、それらの繋がりを往還しながら深まっていく人間的で永遠なるものを信じたい。
24,000年という神話がごとき時間にも抗える物語を写真でつむぎたい。
ゆえにこれらの写真群を『神話』と名付けた。
悠久の時の流れの中で綿々と連なる命の一粒であることを自覚するとき、死を悼む心は数万年先の未来へ向かう生きた指標となるだろう。そのとき、人間が始まる。
齋藤 陽道 Harumichi Saito
1983年、東京都生まれ。写真家。都立石神井ろう学校を卒業後、2020年から熊本県に在住。2010年「写真新世紀」で優秀賞を受賞し、2013年はワタリウム美術館で個展を開催。2014年には日本写真協会新人賞を受賞。写真集『感動』および続編の『感動、』(赤々舎)は、木村伊兵衛写真賞の最終候補となる。